2010年04月17日

かくて国家や日本人の名誉は貶められる(産経新聞)

【安藤慶太が斬る】

 ■戦後補償裁判に見る虚構が生まれる構図

 この欄で何度か取り上げてきた北海道教職員組合(北教組)問題だが、ようやく道教委が服務規律の調査に乗り出すことを正式に表明した。北海道の教育の病巣は深刻である。教育に責任を負う道教委にとっては、これから北教組によるさまざまな隠蔽(いんぺい)や妨害、脅し透かしに悩まされることになる。調査自体も散々揺さぶられ、真相究明は難関続きが予測される。ただでさえ真実に迫りにくいことに加えて、校長にとっても保身の思惑があるだろう。正直に内情を話せば、道教委には詳しい報告を求められ、責められる。現場の分会からは「労使の信頼関係を踏みにじった」とこれはこれで責められる。たとえ真実を訴えても、報告した道教委がいつ自分のはしごをはずすかわからないし、不信や懸念、さまざまな思惑が工作しているはずだ。どうか、不正がヤミに葬られる事態だけは避けてほしい。妥協の誘惑に負けることなく、この調査が、北海道の教育現場の正常化に向けた第一歩となることを心から願っている。

 ■ひどい北海道のメディア

 それにしても現地北海道のメディアの取り上げ方はひどいと思う。北海道新聞4月9日のコラムを例に挙げる。

《行き過ぎ調査
 北教組の政治資金問題は、当欄でも何度か批判した。事態を今なお進んで解明しない、この組織の自浄能力のなさにはあきれている。だが、関連して道教委が予定する調査は行き過ぎだ▼3万人以上の教職員らを対象に、組合活動や政治活動などを詳細に調べる。職員団体からカンパの要請があったか、ビラ配りをしたことがあるか。「見聞きしたことがあるか」と、他人の行為まで尋ねる。政治信条の洗い出しは人権を脅かすだろう▼回答を断れば、職務命令を出すことが可能という。となれば処分も視野に入るわけだ。警察に逮捕された容疑者にも黙秘権があるのに、それすら許さぬ圧力は尋常ではない…》

 このコラムでは、道教委による国旗国歌の実施状況調査を問題視し、「日の丸をどこに置いたか、君が代を歌う時の起立の具合も調べて、こちらも行き過ぎと言われた」などと書いている。

 なぜ、道教委がこういう調査をやるか、はっきりしておかねばならない。一言で言えば、北海道の学校教育の腐敗が深刻だからである。国旗国歌だけに限った話ではない。国旗国歌に限って言えば、北教組はすでに学校に対して道教委と同様の調査をかけ、現場の組合教師をあおっているのである。国旗排除を目指すマニュアルを配布した地区もあったが「国旗はどこにあったか」「誰が国旗を掲揚したか」「式次第に国歌斉唱が盛り込まれていたのか」など実際に式典で国旗がどのような取り扱いになって、組合員がどう働きかけたのか、などを北教組が学校の組合教師に克明に報告を求め、実質的に組合員に式典での国旗国歌の正常な取り扱いをさせないようにげきを飛ばしているのである。

 道教委は北教組の国旗国歌排除マニュアルやこうした調査の存在を知っている。看過できないのは当然である。だからこそ学校現場で実際に行われた式典の状況を克明に把握しようとした。公教育を預かる立場に立つ者として当然の責務である。調査しない方がおかしい。

 ■コラムの悪意

 コラムでは「北教組の政治活動は当欄でも何度か批判した」とか「(北教組の)自浄能力のなさには呆れる」などと簡単な枕詞(まくらことば)だけをふって、これを免罪符に道教委の調査に実質批判を加える。新聞を読んで「道教委も何もそこまでやらなくても…」と感じる読者は多いはずで、それがこのコラムの主眼としか思えない。国旗国歌をめぐって北教組が裏や水面下でどれほど執拗(しつよう)に妨害しようとしているか。そうした動きをまともに報じずに「国旗国歌について学校で指導するなら、強制ではないことも併せて教えねばバランスに欠けよう」などと書くことこそバランスに欠け、悪意に満ちているといわざるを得ない。このコラムがやっていることはルールに基づく公教育の正常化の足をひっぱっている、としか思えないのである。

 ■再び裁判所について

 道教委が調査をやり遂げることができるか。今後も見守っていくつもりだが今回はこれ以上、深入りしない。今日の本題は、前回述べた裁判所の続きである。前回私はこう書いた。

《ありとあらゆる左翼的な党派利害や運動体の要求が次々持ち込まれてイデオロギーを背景にした裁判闘争が日夜繰り広げられる舞台でもある。裁判官も彼らにしゃべせるだけしゃべらせており、彼らにとっては議席をとれなくても主張が許される絶好の場である。負けても負けても何度も同一構造、類似構造の訴訟が繰り返される。そして、やがて要求を通しお墨付きを与える裁判官が現れるのである》
 戦後の多くの虚構にお墨付きを与えたのは裁判所だった、とも述べた。今回は具体的な戦後補償裁判の判決を見ながら考えてみる。

 戦後補償裁判ではどんなに声高な主張をしようとも、応援団が盛り上げようと、判決では原告の請求が退けられる場合が圧倒的だ。先の戦争下、強制連行された、強制労働に従事させられた、として中国人が日本で賠償請求の裁判を相次いで起こし、それを多くの左翼系市民グループが支援するのだが、サンフランシスコ平和条約、日華平和条約、日中共同声明、日中平和友好条約により、国家間で賠償権放棄に合意しているのである。

 ところが、こうした国家同士が外交交渉で積み上げた合意を無視して「損害があれば救済されるべきである」とする論理が左翼系市民グループの後押しで次々に法廷に持ち込まれる。それは、裁判闘争にメリットがあるからだ。

 いわゆる中国人強制連行について国の賠償責任を認めた平成16年3月の新潟地裁判決のような事例もあるが、ほとんどの請求は結論として退けられている。ところが問題は請求が退けられても強制連行や南京虐殺などが事実として次々と認定されているのである。例えばこんな具合である。

 《確かに国が中国人労働者移入の制度を設計した時点において前記のような態様の強制連行まで意図していたかについては議論の余地があるとしても、中国人労働者の移入策の実行場面において、被控訴人国の意向を受けた日本軍、中国人関係者らが、第一審原告ら中国人労働者の意思に反してこれを拘束し、監視のもと、同人らを日本国内の各事業場まで強制連行したことは明らかというべきであり、上記被控訴人企業らの主張は採用できない》(平成18年6月16日、東京高裁判決)

 《我が国の軍部が…中国内部の政治的軍事的極めて複雑な混乱に乗じて。その当時においてすら見るべき大義名分なく、かつ十分な将来的展望のないまま、独断的かつ場当たり的に展開拡大推進されたもので、中国および中国国民に対する弁解の余地のない帝国主義的、植民地主義的意図に基づく侵略行為にほかならない》

 《いわゆる「南京虐殺」もそのような日本兵の中国国民に対する民族差別意識を基盤として行われた…》

 《当時の日中間の戦闘等につき、例えば『満州事変』『上海事変』などと『事変』との表現が当時も現在も使用されることがあるが、実相は我が国が他国で展開した『戦争』ないし『侵略行為』にほかならないといえる》

 《我が国は、今後も反省をし続け、将来にわたるアジアの平和と発展に寄与すべく最大限の努力をしなければならない》(以上、平成11年9月22日、東京地裁判決)

 請求自体は棄却されているから、国はどんなにおとしめられても上訴ができない。訴える利益がないからである。

 ■虚構が生まれるメカニズム

 では、なぜこういう判決が書かれてしまうのだろう。それは、国の代理人となる訟務検事がまともに事実関係を争わないからであり、裁判官の訴訟指揮に問題があるということである。

 そもそも法律論に照らせば裁判の勝敗は一定はじめから見えている。原告の請求が認められることがまずないことは、訴える側も、訴えられる側も先刻承知し臨んでいるはずだ。

 ではなぜ訟務検事は事実関係を争わないのだろう。それは原告らが繰り返し断罪する「歴史の事実」なるものにひとつひとつ口を挟み、事実関係を争ってしまっては、相手の土俵に乗ることにほかならない。戦術的におとなしく相手の話が終わるまで黙っていれば、負けることはないし、口を開いて論戦でも交わすものなら、揚げ足を取られたりしかねない。時間がいくらあっても足りないのである。黙っておくのが、一番確実かつ短時間で終わる裁判上の作戦というわけである。

 一方、裁判官は、請求人にできるだけしゃべりたいことをしゃべらせるという方針を取りがちである。結論がある程度、目に見えている、だからといって「何を言っても駄目ですよ」とはいえない。途中で、審理を打ち切ってしまって、原告らにわだかまりを残してしまっては自らが批判を浴びてしまう恐れだってある。だから最後まで原告らに言いたいことを言わせる、それで審理を尽くしたという判断に傾くのである。

 原告側に言いたい放題に主張が許され、国側も裁判所もそれを黙って聞いて異を唱えずにいる。すると判決はどうなるだろうか。反対尋問がなく検証されぬ原告の主張がそのまま判決に盛り込まれ、それが、事実と認定されてしまうことになる。言い放しの歴史糾弾が事実と認定されたことになり、今度はそれがマスコミに大々的に取り上げられたり教科書に掲載されうる事実として扱われ、いずれ猛威を奮うのである。

 彼らが負けるかもしれない裁判を何度も何度も起こすメリットはここにある。万が一勝てばそれはそれで良いし、負けても主張は存分にできる。国側は何も異を唱えない可能性が高いから、自分たちの主張が反証されずに「事実」としてお墨付きが得られる。裁判所も訟務検事も、自分たちはそのことの深刻さがよくわかっていないのである。

 ■名誉を守る必要性

 「日本の国には国の名誉日本人の名誉を守る機関がない」。これは自ら百人斬り訴訟の原告代理人を務め、国政に転身した稲田朋美衆院議員の言葉である。

 繰り返しになるが、深刻なのは左翼系の市民グループの裁判闘争ではない。自分で自分のやっている仕事の使命を認識できずに、ひどい場合には喜々として、国をおとしめる判決を書く裁判官であり、裁判に勝つことだけを自分の仕事だと認識して、いかに自分の国がおとしめられても、何の痛痒も感じない、反論もまともにせずに裁判勝利を貫ける訟務検事の姿勢こそが深刻なのである。

 慰安婦をめぐる対日非難決議が米国下院で可決されたときも、日本の世論はもちろん、政府や立法府に、その不当性を毅然と主張する声は少なかった。したがって裁判官や訟務検事だけが深刻だとは思っていない。世界には、日本に対する悪意が厳然と存在する。日本を隷属させ、延々と金をむしり取る仕組みを作りたいと画策する動きがあって虎視眈々(たんたん)と日本をはめる機会をうかがっているのだ。無警戒に「決議されても仕方ないじゃない、だって悪かったんだから」などと漠然と考えている人々にもその大きなツケは及ぶ。そのとき、初めて事の重大性に気づくのであろうか。(安藤慶太・社会部専門職)

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posted by ヒガシヤマ ユウジ at 10:22| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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